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バリ小説
第一日 5月25日 クタ・レギャン
第二日 5月26日 チュルツ・バトゥアン・マス・サヌール
第三日 5月27日 ブノア、カパ・ベノ・サヌールの二泊目
第四日 5月28日 バトゥブラン・ウブド・ボナ


カリブクブクにはちかづくな
バリ個人旅行12日間

       第三日 5月27日
       ブノア、カパ・ベノ・サヌールの二泊目


70年代ヒットポップス
オンパレード
「雨を見たかい」
「カリフォルニアの
青い空」など
 朝起きると二日酔いだった。
 昨夜、ポンびきを装った極悪人の手からすんでのところで
脱出に成功したおれはバリ・パブで深酒した。4人編成の
生バンドがかなでるナツカシポップスとビールとプ
ラッデイ・マリーでしこたま酔っ払った。
 日本人であるオレを意識して演奏してくれた
『昂』だけはいただけなかったが。
 今日も青空。2階のダイニングで朝食を取り、ホテルの庭をスケッチした。
 こんなふうに絵を描くのは何年ぶりやろ。ずいぶん描いてなかった。
 焼物屋やから絵付けはするけど、それはある種の様式=約束事やもんな。
 技術にも制約されるしなあ、それに器として料理を盛り込むとなると、ジャマにならん絵付けが要求されるもん。工芸の範囲のなかで仕事するってことはそういうこっちゃ。「美術コーゲイ品」はべつやけど。

 こんなふうにペンもって真剣になんかを見つめるちゅうのは、やっぱり13年ぶり。
 韓国へ行った時以来かあ。生活に追われてたもんなあ。
 
 そういえばきのうの晩バリ・パブで会ったチョー ソングンたち、ここに泊まって
るていうてたけど、まだ寝てんのかなあ・・・。あの二人もノッてたなぁ。
 あいつらが閉店寸前に来てからもり上ってしもてデンマーク人グループは踊るはル
ウェイ人は歌うは・・・、おかげで2時すぎや。おもろかったけど・・・。
 ひさしぶりで韓国語思い出したわ。鉄鋼会社のビジネスマンや云うてたけど、彼ら
みたいな階層を持つにいたったわけや韓国も。変わったんやろうな、オリンピック前
とは。それにしてもファーア、ねむたい。

 チョー ソングン登場。もうひとりの友達と共に韓国人のガールフレンドを連れて。
 妻でないのは昨夜ふたりとも独身だと云ってたから、なるほどお水のネーチャンと
バリでリゾートするっちゅーわけかい。

 「オーツ、ケイ。おはよう。どうだ調子は。きのうはオモシロかったな。それ、が
  カメラ忘れちまったんだあの店に。あとでいっしょに行ってくれよぉ。」
 ゲンキな韓国人らしく朝からゲンキ。32才だもんね。メタルフレームもキラキラ。
 韓国人の身体距離は日本人より近い。きのうの今日で旧知の友のようにおれの肩を
抱く。オープン・マインデッドな人達。
 「オープンすんのは10時か11時だろう。おれは9時に迎えが来る。いっし
  よには行けない。だいじょうぶ、あの店の人達はいいひとだ。あんたのカメラ、
  キープしてくれてる、心配ないって。」
 「う−ん、そうだとは思うが・・・」
 でかいNikonの無事を思いわずらうチョー ソングン。失うものが増えると気
苦労も増える。
 テラス越しに黒いダイハァツゥが来たのが見えた。マデイさんだ。
 「チョー ソングン アンニョン ゲェシプシィォ(安寧にいて
  ください)」
 「グッパイ」と彼は云った。・



左がマディさん

 シュノーケリングするためにヌサ・ドウアのさきのブノアを目指してると国道沿い
に焼物を野積みした店が続きだした。植木鉢。甕などの低火度の焼物だ。クルマを停
めて、マデイさんに通訳してもらって、バリの陶芸事情を探る。わかったことのいく
つか。

 そこに並んでいた壷、植木鉢、甕などの大物陶器はとなりのロンポク島で焼かれて
いる。焼成は野焼、もしくは野焼に近い簡単な窯での焼成である。焼成湿度は900℃
〜1000℃の低下度。堅牢度を高めるのと水の浸透をおさえるために〔磨き〕をか
けている。廉価なものは粗雑な〔磨き]しか掛かっていないが上質の物は非常に密な
〔磨き〕が掛けられており、強いツヤとテリがある。
 野焼焼成時に起きる自然炭化の影響をうけて、赤褐色に黒、もしくは灰白色に黒の
窯変をもつものが多数。美しい。30cm大の水壷が日本円600円。50cm高の
甕で1200円。(観光客プライスなのか現地価格なのか不明)
 バリ島内でも少量の植木鉢などが焼かれていることが判明。
 デンパサール北東の町、カパヘ昼から行くことにする。

 ブノアではボートをチャーターして沖に出ることに。二人分の三点セット、マスク・
シュノーケル・フインを含んで2時間$25。マデイさんも貸スイムウェアとライフ
ベストをつけて一緒に行く。おれはベストなし。ビーチは白砂。

 天気晴朗ナレドモ波ヤヤ高シ。
 パラセール・バナナボート・ジェットスキー・パワーポート・グラスボート・シュ
ノーケリング・スキユーバグイビング等、夏季保養地二於ケル海上運動ノ花、正二繚
乱タリ。然レドモ過ギタル数ノ船舶、空中飛行者トモニ錯綜シオレバ海上事故、海中
事故、空中事故ノ発生、寸暇必然ノ帰結ナラン。ブノア浜ノ安全確保二付キ政府当局
ノ御一考ヲ切二要請ス。 日本国 ケイ ナカガワ 拝
 ほ−んとっ、危なそうですョ。

 沖のポイントにおれとマデイさんを連れて行ってくれたのは3人の少年。
 14、11、7才ぐらいか。船外機をあつかうのは主に年長の少年。年中は補佐。
 年長の指示にしたがって、碇を投げこんだり、引き上げたり、ちょっとエン
ジン操作もさせてもらってた。年少は補佐見習いのようなもの、乗り込むときにお母
ちゃんがわたしてくれた弁当を日陰に移したり、チョロチョロしながら船酔いへの耐
性を培ってるってところか。みんなかわいくって逞しい。
 カメラを向けると年中は年長に隠れながらもピースした。おれとマデイさんが泳い
でるあいだ彼らもぼろボートの屋根からタイプして泳いでた。遊びが仕事、仕事が遊
び。
 沖といってもビーチが見える距離。ポイントにうかんで海中観察。熱帯魚がいるに
はいるが数もたいした事ない。透明度が低い。波が高い。
 マデイさんは早々に酔ってしまってポートの上からゲーゲーやってるみたい。おれ
も泳ぎながら波に酔うことを初めて知った。40分ぐらいで切り上げてビーチにもど
る。

 休んでるあいだにお供え物の器作りをスケッチ。
 女の人はいつもはたらいてる。ヤシの葉と竹の串を使って、見るまに三角形の器を
こしらえていく。自家用?それとも売るため?熱練の手技。わが町の年配者の縄をな
う手つきを思わせる。
 お供えといえば、バリでの、この宗教儀礼の日常生活への溶けこみ具合にはやはり
感心した。どんな小さな店でも作法にしたがって、お供え物用の器に盛った食べ物、
花いろいろ、お香を店内店外の何箇所かに供えてる。
 空港ビルみたいな現代的な空間のなかでもそれを見た。田舎の方の家となると各家
の祠、村の祠、お寺、それぞれへのお供えを毎朝毎夕やってる。
それが神様、祖先、悪霊(これは地面に直接置く)、方位にしたがい屋敷の内外、入
口ヘと。いったい何箇所にお供えしてるんだろう、作法を覚えるだけでも大変そうだ。
 朝のジャランで何回も見た。ホテルの庭で見た。農村のたそがれどきにも見た。

 赫い花で彩られた供物を地に置ひて、少女は青磁の小壷から清らかな水を小枝に移
し、厳粛で優美な仕草で地に撤ひた。浄めの作法を了へて火のついた線香を供物のう
へに静に添へて少女は神への祈りを捧げた。その横顔は愁ひを含んでこのうへなく美
しく思はれた。折しも黄昏の一条の光が少女の半身をとらへて黄金色の菩薩が立ち現
われるのを私は見た・・・。ああ、美しひバリ島の私。
 人をして川端康成ならしむる光景である。

 それにひきかえ男連中ときたら、町場の方では日がなタムロってるみたいやし、ちょ
い郊外の方では昼日中から寵愛する軍鶏を慈しみつつ訓練するヤンキーすわりのオト
ウサンたちを、そこかしこにお見受けしました。

 さてと、船酔いも治ったみたいやし、焼物の工房をたずねて、カパヘ出発するか。
 マデイさん、もうタイジョウブ?
 ごめんな、いっしょにって誘てしもて。

 マデイさんとはいろんな話をした。お互いの家族のこと、仕事のこと。
 マデイさんは37才、3人の子持ち。早くに結婚したから長男は19才でもう働い
てる。8年前まで大型トレーラーを運転して長距離を走ってたそうだ。
 フェリーを使ってジャワ島のジャカルタまで約1000Km、体がきつくなったの
でタクシードライバーに転業した。 個人営業なのでツーリストがチャーターしてく
れるとありがたいが、アブれる日もおおい。アルコールは飲まない。
 インドネシアの言葉もたくさん教えてもらった。ガイドブックの簡易会話集のカタ
カナ表記をマデイさんの発音で憶えなおして、とりあえず状況に応じて使ってみる。
 マデイさんがそれを直してくれる。マデイさんの話すのを聞いて盗む。
 走る車の中から外を見て、おもしろいと思った事、不思議に思った事を聞いて
みる。するとマデイさんは知っていることを話してくれる。マデイさんの英語は簡単
な英語だからおれにもよくわかる。
 とてもいいガイド、いい先生、いいドライバー、いい通訳、いい友達だった。

 マデイさんに教わったいくつかのこと。

 あの赤い牛はビサ。
 サヤ マウ ブルギ ク ーーで、私はーーへ行きたい。
 自動車は日本製がはとんど、ホンダはお金持ち用のセダンが多い。 
 もっとお金持ちはメルセデスかBMW。
 ミツビィシィ、トヨタァ、マツタァ、ニツサン。ダイハァツウ、イスズゥは
軽のバン、四駆。なぜかスバルはなかった。やはり4WD全盛。
 ベンツの散水車、ダンプ、バスを見かけた。
 最近になって韓国車セダンタイプが入ってきたが安っぽいとはマデイさんの感想。
 どうだチョー ソングン。
 モーターサイクルはホンダァ、ヤマハァが多くてベスパがすこし。
インドネシア製はクルマもバイクもない、と云ってマデイさんは苦笑した。

 クルマの外を女子中学生の自転車が。
 カメラをかまえるとマデイさんは阿吽の呼吸で減速して横につけてくれる。
 「スラマッ ソレ(こんにちは)」と云うと
 「ハロー。」 ニッコリ笑って手を振ってくれた。
 「制服がカワイイねえ。」 
 中学生は制服のシャツを三枚もっているそう。白いシャツ、淡いカラーシャツ、
イカット(絣模様)のシャツ。女子は無地のスカート2、3色と、男子は同じく半ズ
ボンと組みあわせる。各学校で少しづつ違ってる。あるいは行政区分ごとで違ってる
のかも。学校が足りないので二部制。だから先生はいくつかの学校を教えてまわるの
でとても忙しい。

 クタを通り抜ける。もうなつかしい。きのうの朝の交差点だ。木製ポリスボックス
の横でマデイさんの友達たちがたむろってる様子、お巡りさんとも言葉をかわしてる。
 これなら写真OKだろうとカメラを向けると、友達のひとりがなにごとか叫びなが
ら猛然とくってかかって来た、驚き慣ててカメラ降ろすと、もとの場所へ戻ってみん
なと爆笑。やられた!ジョークだ!
マデイさんは「ジョーキン」と云っておなじように笑った。

 カパヘの道は畑とたんぽ。ビュンビュン飛ばす。牛でしろかきしてる。黄色く色づ
いて穂を垂れた田んぽもある。数人のお百姓さんがすげ笠姿で田植えしてる田んぽも
ある。稲刈りを終えた田んぽもある。あぜにはバナナの木とヤシの木。知ってるよう
な、なつかしいような、季節がオカシクなったような、時間が逆戻りしたようなキミ
ョーな光景。熱帯の二期作。豆も色づいてる。

 ヤシの木はとても役に立つ木。実はジュースを飲む、オイルを取る、果肉を食べる。
 殻は燃料になる。葉は屋根を葺く、いろんなものを編む。幹の繊維もいろいろに使
える。幹の芯材は建材、足場材になる。だから全部所有者が決まっていて幹にはしる
しがついてる。ヤシの実を収獲してるところを何度も見た。
 ヤシの実一個の値段。古いめ25円。新しいの50円。(フレッシュなほうが
有用部分が多い。ジュースも飲めるしね。)

 ちょっと郊外の方にでると、なんとなく沖縄っぽい。屋横の瓦がオレンジ色。
 スペイン瓦と云うのか、あれで縁を白漆喰でかためたら、まんま沖縄。バナナ=芭
蕉の木、ハイビスカス、フクジュ、モクマオウの木もあるし。
 ヤシの木はこんなに多くないけど。家のまわりに石垣、海に近いとこだとサンゴの
石垣をめぐらしてるのもおんなし。集落の建てこみ具合もそうや。
 ちがいは沖縄には放し飼いの犬と鶏と豚がいてへんことか。バリの犬は放し飼いで
幸せそうやけど、人を咬んだりせえへんのかな。ヤシ葺きの小屋とかも沖縄にはない
か。
 亜熱帯と熱帯、沖縄にもまた行きたい・・・、思いつづけて早20年か。壷屋焼の
窯元も那覇から読谷に移ったらしいし変わったんやろなぁ。あれっ、20年前の沖縄
旅行の目的も焼物、織物、吹きガラス、漆器、高い水準の手作りの伝統工芸を見に行
くちゅうことやったんで、おんなしか今回の旅行と。あのころは民芸運動に惹
かれてたもんなぁ。
 カパに到着。クタから3、40分か。けっこうデカイ町。2車線の道路もゆったり
していて、その両側に焼物屋、と云っても朝に見たのと同じ、植木鉢、壷、甕を積み
上げて売ってる店、がずらっと並んでる。
 一軒の店のオヤジにどこで作ってるのか、ぜひ工房を見たいとマデイさんに聞いて
もらったところ、カパではなくもう少しデンパサールよりにもどったベノに何軒かの
陶器工房があるとのこと。サヌールヘ帰る方向、遠くない。じゃ、この町で昼メシ?
 二人ともプノアの波のせいで食欲がいまひとつ。ちょっと町を流してみる。

 植木鉢屋も多いけど祠を売る店も多い。祠と云うのか神殿と云うのか、稲荷の社み
たいな形、屋根の部分が黒いシュロの繊維で葺いてあって黒いキノコみたいだ。大小
さまざま、テッペンには陶製の飾り。神鳥ガルーダとか、王冠状のもの。通りに向け
て祠がいくつも並んでる、その前でやはりお供えの器づくりに精を出す女たち。

 祠を作ってる木工所があった。若い女の子2人。男6、7人で基礎枠組み立て、外
の化粧張り、塗装(女の子の担当)、細部仕上げ、シュロ葺きまでの工程を屋根だけ
かかった半屋外の工房でやってる。マデイさんの云うところではこの黒いシュロ葺き
の祠は上の方の階級、王族とか僧侶階級だろう、だけが使っていいものらしい。
 そういえばヤシや茅で葺いた白い屋根の方をたくさん見かける。
 バリ・ヒンドゥの階級社会は現代、現実の貧富と直接の関係がないらしいが結婚、
儀礼などの際にはどの階級に属しているかが複雅に影響する。これはガイドブックの
弁。
 
 はじめカメラを向けると1人の女の子は仕事姿を撮られるのが嫌なのか、恥ずかし
いのか、単に照れ屋さんなのか、ふくれっ面をしてこっちを向いてくれなかつた。
 もう1人の子はニコニコしてたから、いちがいには云えないけど、写真を撮る、写
真に撮られることの意味が日本のそれとすこし違うのかも。1日の仕事は8時間。休
憩時間を含んでるから実質は7時間弱。マデイさんの通訳のおかげでみんなリラック
ス。あの娘も笑ってる。彼女がマデイさんになんか云った。

 「今撮ったフィルムをフィニッシュしたら、この娘が一枚欲しいそうだ。」
 「オーケイ アイ プロミス イット。」
 バリでの二つ日の約束。
 横じまTシャツのその娘はニッコリした。

 ベノに向かうクルマのなかで聞いたところ、マデイさんはカメラを持ってないそう
で、特別の日、結婚式とか誕生日には友達のカメラを借りて撮る事もある。
 やっぱりちょっとお金もかかるし。あとで現像に出したところ、(23分仕上げま
である。)36枚撮り1本でRp..12000(¥600)だったから日給Rp.
5000(¥250)だと日本人みたいになんでもバチバチと云うわけには行かない
だろう。それに写真の中に「いま」を閉じ込めることに、バリの人たちは執着してな
いようにも思った。今、「いま」を楽しむには、時としてカメラはじゃまになるもん
ね。

 とあるちっさい三叉路を曲がって車はとまった。ここがベノ。なんの変哲もないデ
ンパサール郊外の町、道の両側にはフツーの家がならんでる。製陶所の立ちならぶ焼
物の産地という雰囲気はまったくない。
 ははあ−ん家内製手工業やな。
 停めたところがその一軒。左手の方は駄菓子・飲み物・雑貨の小商い。
 右手の奥が工房。
 オバサン5、6人の中から鄙にもまれな美少女が進み出たので、意表をつかれてキ
ンチョウする。暗い土間の奥では一人のオバサンが口径60cm大の植木鉢を手回し
台の上で制作中。
 工房内に照明設備はなく小屋囲いの竹矢来を通り抜けてくる外光のみ。陰影礼賛。
 マディさんを通じて来意を告げる。さきほどの美少女はこの家の娘。
 奥の女性がこの子の母親で工房主。あとのみんなは窯詰めの手伝いに雇われた人達。
 見学させて貰うお礼にとRp.5000(¥250)をお渡しする。

 娘は18才、デンパサールの英語学校に1年通ってる、
 その名をカデッアリス トゥティ。
 彼女の英語での説明。

 ベノには他に3軒の陶器工房があり、使用する粘土は近燐でとれる。
 お母さんは1日に60cm口径の植木鉢を1、2個作る。
 30cm口径の物だと1個あたり7〜8分。
 わたしは学校にいってるので月に2、3日しか作れないので月産25個ぐらい小さ
い植木鉢を作っておこずかいにする。
 焼物つくりはお金にならない仕事なので母から娘へ伝えていく女の仕事。

 ちょっと土揉みさせてもらう。かなり荒くサクい。黒褐色、日本のナベ土に鉄分を
混ぜた感じ。菊揉みしてると「オナジ。オナジ。」と声がかかる。揉み上げて手まわ
しロクロに据えようとしたらストップがかかる。
 お母さんの実演。

 ここの手まわしロクロは粗雑なつくりで上下、左右のぶれが大きく、あくまでも手
捻りの補助装置。立ったまま成型する。
 まず底の部分の土をロクロ台中央に載せ手のひらで圧着。
 底を叩き締めるのは卵型の石。
 太さ3〜4cm、長さ40cmの撚り土をグイグイ輪積みしてゆきその際、ロクロ
台を右足の太腿をつかって時計まわりに送ってゆき時間短縮を図る。
 輪積みした部分をカキベら、指を使って撫で上げるので内部の掛り土と掛り土のつ
なぎ目はわからなくなるが、外部のつなぎ目は視認できる程度に残っている。
 口縁部はぬらした帯状の布でなめして締めた後、外へおり返して輪花状に仕上げる。

このロクロ台は惰性で回転が得られるつくりではないので口縁部の仕上げの時に、最
も早く、多く台を廻す。おそらくお母さんの太腿には硬いタコができているはず。
 完成後、糸切り。所要時間7分。 急激な乾燥をさけ、この工房内で乾かす。
 まわりは乾燥途中の大植木鉢だらけ。隣接の部屋は製品置き場。
 ワラをはさんで破損をふせぎ、重ね積み上げた各サイズの植木鉢・壷・甕、鉢、祠
の天頂部の装飾などが所狭しと並んでる。
 中に小壷の口をひきあげて閉じ、切り込みをいれてコインの入れ口とした陶製の貯
金箱があり日本の民具、火もらい壷と似ていて、赤い塗料で装飾されていた。

 今日は幸運にも窯詰、火入れの日。
 道を渡って窯場の方へ行く。ヤシ葺きの小屋には薪が少しとヤシの実の殻、ワラが
山積み。その奥が天日干しの場。細い薪をかませて太陽にむけて大中小の植木鉢が干
してある。かなりキレも多い。

 窯はレンガで作った3m x5mの直方体。底部が1mほど持ちあがっていて燃焼室に
なってる。側面一部に階段。そこに上がって窯詰。この部分の炉壁はなく窯詰後、レ
ンガでふさぐ。燃焼室の仕切りが窯底部の支柱をかねている。ロの字型に熱がまわる。
 窯詰の最初は大きい植木鉢を支柱にかけて伏せてならべ、つぎの段にも各サイズと
りまぜてふせて詰める。炉壁最上部(2mくらい)まで同じ要領で積み上げるが、す
き間にはワラをびっしり詰めこむ。
 窯の屋根は瓦葺き、窯上部とのあいだは1・5mほど開いている。
 おそらく炎が立ち上るという焼成にはならないのであろう。窯屋根の天井はススで
真っ黒。窯底部の焚き口は直径60cmの半円形。ヤシ殻を主体にくべる。焼成は7
〜8時間。
 窯詰終了時点までは実見したが、これから点火するとのこと。製品の焼け締まり具
合から判断して、おそらくは数度、薪・ヤシ殻を投げこんでくべ足し、後はワラが燃
えつきるまでほっておく、という野焼きに近い焼成になるだろうと思われた。
 窯内部のようすを覗く、色見の穴が数カ所にある。

 工房の方へもどって飲み物をだしてもらう。ツティと話してわかったこと。

 お父さんはクタのホテルに働きに行ってる。
 彼女がいま行ってる英語学校は3年のコース。
 終わったらお父さんのようにホテルで働きたい。
 そして25、6才で結婚したい。弟は高校生。
 マイケル ジャクソンやマドンナも聞くけどいちばん好きな音楽はバリのレゴン音
楽。町のパンジャール(地域共同体でもあり、町内会的自治組織でもあり、宗教儀礼
の執行母体でもある。ガムラン音楽のグループ、各種のダンスの踊り手も持つ。)で
はレゴンダンサーで、ときどきはホテルによばれて踊ることもある。
 町のお祭りごとの時には神に捧げるために、もちろん踊る。

 ツティはほんとうにキレイ。
 そして無邪気で無防備。
 まっすぐにこっちの目を見て話す。
 左眼の黒目が白濁して、顔面に傷のある四十男の日本人にむけて、
 ツティは透きとおった視線をまっすぐに投げかけてくる。
 たじろぐことなく。
 彼女のレゴンダンスを見たいと思った。

 別れと礼を告げてサヌールヘ。
 午後5時のこみ合う時間。
 クルマの前方20mでバイク3台がからんで転倒。マデイさんが急ブレーキを踏む。
 大した事はなかったみたい。道路脇で示談交渉が始まる、一人は手を痛めた様子。
 バリの交通事情にはかすかな恐怖をずっと感じていた。
 もっとも日本でも人の運転で乗る時はおんなし、いつもすこし怖い。
 でももっとバリの運転者たちは荒っぽい。
 混沌と無株序のロードを動物的カンをはたらかせて切りぬけてゆく。

 「マデイさん、文通事故にあったことある?」
 「一度もない。」
 「そうか・・・。
  おれは10年前に大きいのをやった。
  停ってるクルマにノーブレーキで激突したんや・・・。
  カミさんが運転してて、助手席のおれはセーフティベルトをしてなかった・・・。
  それで左目をなくしたんや。
  左目はなんにも見えへん。
  だからおれの右目のために安全運転してくれ。 
  もし、ちょっとでも右目を傷つけたら焼物の仕事はもうできへん。
  どうやって金、稼げる?
  おれの子供らはきっと腹をへらす。
  そやから安全運転でたのむ。」
 「わかった。」とだけマデイさんは云って、
  すこし速度をゆるめた。

 サヌールに着いて、マデイさんを夕食に誘ったけど、クタに帰って家族と食べたい
とのこと。明日の朝も9時にむかえに来てもらうことを約束して「スラマッジャラン
(残る人が行く人に云う さよなら)」
 部屋にもどってシャワーと洗濯。短パンを洗った夜にはサロンをまいて偽バリ人の
格好。これは日本でアメリカ人の友達にもらった。バリのお寺に入るのには外国人で
もこれがいるので持ってきた。この格好でジャランに出たのはきのうの娩がはじめて。
 地元の人の「コンバンワー ニッポンカラ?」にこの格好で「スラマッ マラン
(こんばんは)」と切り返すと、みんなオモシロがってくれるし、すんなり歩ける。
 きのうの晩はあんなことになったけど、はてさて今夜はどうなるかな。

 バリ・パブにもどることを約束して昨晩と同じく左の方へ。途中で海岸のほうへ出
てみる。高級ホテルの塀ぞいで暗く、人通りなく、たまに現地人の男とすれちがう時、
バイクが近づいて来る時には、身構えて緊張したり、やりすごしたり後ろから来る人
にも気をくばる。今となってはバカな話。サメールは安全でイイところなのに。

 ビーチは夕暮れ。
 舗装された小道をたどって散歩する。
 もう暗いのに、まだ泳いでるバリの子供たち。
 浜の赤さびた蛇口から吹き出る水で身体を洗ってもらってる、ちんぽはだかの男の
子。ちょうどおれとこの上の子くらい。まわりに順番をまつ弟たちと妹。お母ちゃん
はふざけるその子を手荒く洗う。
 この家族の一日も暮れる。
 土産物の売り上げはあがったろうか。
 波音は静か。小暗い遊歩道。過ぎゆく白人たち。家路に着くバリの娘たちにあいさ
つをかわす。娘たちは無邪気に偽バリ人をよろこぶ。
 ビーチに沿っては高級ホテルの裏庭がつづく、ひろい敷地、よく手入れされてみず
みずしい芝生の庭。青いプール、金髪の男の子と女の子、その家族、まだ泳いでる。

 光量をおとして落ち着いた芽囲気のバー、レストラン。
 ビジターも入れるこれらの店も客はすくない。
 はたらくバリ人の男女がナイフ・フォークを磨きながら、静かに話してる。
 ホテルごとに工夫をこらしてリゾートの雰囲気を出した制服とてもキレイ。
 頭が小さく手足が長い、そして女の人はウエストが細い。
 女の人の制服だとボトムはサロン(巻きスカート)かスリットの入るロングスカー
ト。やわらかい生地で腰から足へのラインがフェミニンでしなやか。
 トップがレーヨンのシャツだとキラキラしてるし、レースの短い上着だと腰帯で締
めたその細さ加減がいとおしい。
 男の人の制服もステキだ。
 かれらの茶色い肌に原色をアクセントにしたパステルトーンはよく映える。
 イカット柄や腰帯、男の人の被り物(ウドゥン)など、民族衣装をアレンジしてど
の店の制服もとてもよくデザインされている。
 しかも機能的。
 それぞれの店の制服に見とれながら散策を続けていると、うす闇のビーチの方から
声がかかった。
 「コンヤ オンナッ! オンナッ!」

 ああ、サヌール!
 通りにもどってブティックで焼物を見つけた。
 やはりロンボク。
 だがとても上手の皿や鉢、壷など、デザイン性が高い。
 絵付のある小皿は磨きをかけた後、背景部分を針状のもので削り取り、ツヤのでる
絵柄の部分とツヤ消しの背景とで効果をあげてる。金魚や唐草の文様。
 炭化のはげしい焼きだと黒陶、酸化焼成にかたむくと赤色研磨土器のよう。
 赤色の地に黒色が点状または斑点状にでたものが多い。
 ベノで見たあの窯の焼成では、ここまでの窯変は得られない、とすると、どんな窯
で、どんな窯詰で、どんな焼きをしてるのか?
 モダンなものは縁に魚文の印花を押し、コバルト顔料と鉄分をいれた二色の色化粧
を不定形に塗りわけて、これも磨きをかけてある。オモシロい。
 これを焼くには酸化焼成が要求されるだろう。とすると、けっこう近代化されてて
ガス窯、電気窯、灯油窯で焼いてるかも。

 幾何文様を描いた高坏状の彩色土器もある。
 黒陶の壷は螺鈿(らでん)の要領で白い貝の花文様あるいは星文様をつけてある。
 三角形の白い貝(1辺は7mm)の四片の集合が一単位で花もしくは星を表わしてる。
 黒に白が映えてとても良い出来だ。
 赤色のドラ鉢みたいな器の底のまわりにこの三角形を埋め込んだものがあり、こち
らもすばらしいデザイン。
 しかも感心したことは、低火度ゆえのモロさをカバーするためにロまわりに藤で編
んだ口縁部をつけてあることだ。
 結束のための穴が成形後まだ柔らかいうちにあけられている。
 なんという知恵。なんという工夫。
 陶と藤、二つの工芸の合体。安い灰皿の回りにもうすい藤の網がかぶせてある。
 低火度の焼物をこの方法で割れから守る。
 ただし人件費が安くないと、こんな仕事は不可能、使えないくらい高価な工芸になっ
てしまう。
 ここらが日本の工芸の迷宮の入口。
 工芸の本来の意味は、実用にして美しさをもつ暮らしの中のいろんな道具、だと思
うのだが・・・・。黒陶螺鈿(らでん)の壷、日本円3000円。

 じつはおれとしては、低火度の炭化焼成、野焼き、ペーパーキルン(紙の窯)、ピッ
ト ファイアリング(溝穴での焼成)をこれからやってみるつもりなのでヒジョーに
興味深かった。これらのやり方は二年前ベルギー人の女流陶芸家が家に来たときにレ
シピを教えてくれたのだがまだとりかかれてない。
 いずれはロンポクにも行ってみなければ。

 バリ・パブの方へもどる。
 昨夜のガーデンチェア展示場の前はこわいので反対側をあるく。
 日もすっかり暮れて各店の淡い灯りのともったJl.タジジュン・サリはやさしい夜
の始まり。 まだ三日目なのに、もう、少しだけホームシック。
 店にもどって今夜のオススメ、ビーフストロガノフとビール。それからプラッデイ
マリー。指切りげんまんしたあの娘は今夜は休み。ライブも休み。
 昨夜たくさん話したバンデイも今は姿が見えない。
 いるのは昨日と同じノルウェイ人。

彼がこう聞いた。

「元気か?」
「ああ、とても。 あんたは?」
「今朝はひどい二日酔いだった。」見るとジャワティを飲んでる。
「ハハ、あのあと何時まで騒いでたん?おれは2時過ぎに帰ったけど。」
「4時だ。寝たのは6時だ。」
「あの韓国人たち、チョー ソングンもか?」
「あいっらは3時に帰った。そして9時すぎに部屋まで来てオレをタタキ起こした、
 カメラのために店をあけてくれって云ってな。」
「そうだ。チョー ソングンのカメラ!やつは取り返したんか?」
「あたりまえだ。ここはおれの店だ。忘れ物はちゃんと取っとく。取りにもどればちゃ
 んと返す。」
「あんたの店やって・・。客とちごたんか。」
「おれは死ぬためにこのバリに来て、この店をやりながら、その時を待ってるのさ。」
「長うかかりそうやなあ、その時までは。あんたいくつなんや?」
「72才。」

 とてもそうは見えなかった。彼も偽バリ人の格好。青色で統一してウドゥンまでか
ぶってる。足腰もしっかり。ノルウェイ人。バイキングの末裔。女性首相ブルントラ
ントのもと、男女平等政策のおかげで飛躍的な発展をとげた国。家庭崩壊とひきかえ
に。彼はその国で長く船乗りをしてた。世界中をまわってバリは特別な場所だ、こん
な良いところはどこにもないと云う。家族のことは聞かなかった。9年前からバリに
いる。男2人、女4人を雇ってて、みんな料理できる。
 ライブは週に6日。4人編成のアコースティック・バンド。

「バリでこんな店をもつのはむずかしいことなんかな?」
「そうだ。むずかしい。まず外国人は土地が買えない。この店も名義はインドネシア
 人だ。それから雇った人間に清潔とはどういうことか教えるのに3ケ月かかった。
 そして欧米人のよろこぶサービスとはなんたるか、理解させるのにまた3ケ月。」

 よくわかった。彼の払った苦労と労力と金は想像にかたくない。
国軍出身の大統領。長期政権。親族の経営する国策観光開発会社。外国資本の導入と
流入。コネクション。バリの成功にならって、となりのロンボクでも観光開発中。
 洪水で村を捨て、ある土地に住みついて不法耕作していた農民たちを強制退去させ
たことが日本でも報じられていた。あさって29日は国民協議会選挙の投票日だ。

 昨夜とおなじデンマーク人御一行の到着。
 オバサンー人。あと5人はみんなオジサン。船乗りなのかいい体格、タトゥあり。
 全員この店のオーナーとおなじく青色偽バリ人の格好でキメている。それぞれのテー
ブルの、ほの暗いランタンの光のゆらめく中をウエイトレスのルマシがしめやかに料
理をはこぶ。

 オーナーに昨夜の一件を話してみた。彼も理解できないと云い、最後にこう付け加
えた、「女の子が欲しけりゃバンデイにたのめ。」

 ドキッ。悪魔のささやき・・・・・・・!

 バンデイは25才。固太りで胸板があつい。ジャワ人。ズングリした体形。
 この店ではたらいている。コックもウェイターもライブ盛りあげ係もこなす。
 昨日の晩、話しててビリヤードすることになってる、今夜。
 彼は今日オフだけど、適当な時間、9時か10時くらいにここに来る・・・。

 よき先達はあらまほしきことなり。
 バンデイが来た。よき先達の御到着。
 きのうの晩あの男に1万円わたした時点で、タガはすっかり外れている。
 準備オッケイ。我が方にはそのことを試してみる用意がある。

「バンデイ、なんか飲みなよ。」ジャワティをたのむ。
「パンデイ、きのうはオモシロかったな。二日酔いになったけど。
 それはそうと、どうなんやろ。バンデイ、あんた25才だろ。あんたぐらいの年頃
 の男にとって結婚するのはむずかしいことなんか、バリじゃ。」
「そうか、やっぱり金がないとダメか。稼ぎがよくないと・‥。」
「フーン 親がかりで大家族で暮らしてるんなら稼ぎが少なっくてもやっていけると、
 なるほど。 ジャワから来てひとり暮らしだから・・・フンフン。」
「24,5,6才で結婚する男が多いけど、この頃じゃ30才くらいで結婚したって
 男も増えてきた‥うん、日本じゃもっとおそいで。女の子も。」
「ところでおれはこっちでオンナ、オンナ、つて何度も云われてるんや。きのうのこ
 と話したやろ。今日の夕方もビーチで云われた。う−ん、日本人の男が団体で行く
 もんなあ。女の子を買うために。韓国とか、台湾とか、フィリピンとかタイとか・・
 よくないことだよ。ほんと恥ずかしい。バリにもそんな日本人の団体が来るだろ、・
 ・う−ん、やっぱり・・よくないなあ・・・サヌールにも来るって・・けしからな
 あ・・恥ずかしいよ、おなじ日本人として。」
「いやぁ、おれはそんなこと一度だってしたことないよ。日本でも外国でも。ネバー!
 ゼッタイ。よくないことだよ。カミさんを愛してるから・・・。」

 通りのむこうでガムランの生音が。バリで初めて聞くガムラン音楽。
 オーナーのノルウェー人が聞く、
「この音楽が好きなのか?」
「ああ、CDも持ってる。あんたは?」彼はしかめっ面してる
「こう何回も聞かされるとうるさい。」

 とてもタイセツな話を中断してバンデイと見に行く。

 てっきりホテルかレストランが観光客むけにどこかのパンジャール・グループを呼
んだんだろうと思ったら、通りのななめ向かいにはここらのパンジャールの集会所が
あってそこで地元の男達が練習してるところだった。ラッキー。
 かれらはプロではない。昼間はフツーの仕事をしているフツーの人たち。
 地元の男の子は一定の年齢に達したら先輩の試験をうけてガムラン・グループには
いる。バンデイもジャワの自分の町では演奏してたらしい。
 プロではないが、各グループが競ってるうちにすごいレベルに達して海外公演を行
うグループもある。もちろん音楽大学もあるわけでそういったところから組織される
グループだってあるのだけれど。

 おれにはバリがウラヤマシく思えた。
 こんなふうにフツーのひとの日常に音楽があり、舞踊があり、絵画、彫刻がある文
化の濃密さが。その濃密な文化情溌を生み出してきたのは信仰。
 バリ・ヒンドゥヘの帰依、ある種の宗教的一体感なのだろう。
 女はお供え物づくり、舞踊。男はガムラン、ケチャ、絵画、彫刻。
 それらを有機的時間軸のなかで拡大再生産していく各種の宗教儀礼。
 そして芸術をつくり出す方も、受け取る方も専門家ではない。
 さらに芸術の作り手と受け手は、つねに相互に入れ替わる。
 純粋芸術と大衆芸術が分かれる以前のかたち、限界芸術のありようがまだここにあ
る。(くわしくは鶴見俊輔さんの『限界芸術論−一芸術の発展』を読んで下さい。2
0代の頃の私のバイブル。ほとんど金科玉条にしていて、内容を解説することで何人
かのオネエチャンをクドこうとしてました。)

 音楽だけを云うたら、沖縄では近所のおっちゃんらが三線ひいて、太鼓たたいての
宴会にはいれはいれ云われて津軽海峡冬景色、歌うたことあったなあ。
 あのときも、まだ音楽がフツーの人と共にあるっ、て思た。
 アメリカでもそこらの森林公園とかにいったら、フイドル・パンジョー・ギター持っ
て来てて、ヘタくそなんやけど、あとから来たほかの人らも一緒になって歌たり踊っ
たり、楽しそうにしてたもんな。
 かえりみて我が現代日本。カラオケと家元制度の民謡と日本舞踊。

 リーダーの指導のもと、熱のこもったガムランの練習はつづく。
 とてもタイセツな話のつづきをするために、バンデイとバリ・パブヘもどる。

「ということはバンデイ、
 サヌールにもそういう場所があるわけや。
 女の子のいてる・・。
 バンデイ、そういうとこに行ったことがあんのか?・・フーン、
 それはよくないことでしょう?ちがう?」
「オー、だって結婚はできないし、彼女もいない。お金だってあんまり無い。
 けれど、お金があるときに女の子にお金をわたして会うことはそんなに悪いことだ
 ろうか。」
「う−ん、さびしい夜もあるってわけや・・・。たとえばそれはいくらくらいお金の
 かかるもんなん?」
「すごくキレイな娘だと。やっぱり一万円はかかる・・・」

 充分に間をおいて、そのセリフを云った。

「I can pay it for you! おれが出したろ!」

 サイは投げられた。
 ルビコン川をわたる時だ。10時をすこしまわってる。
 バンデイはバイクを持ってきた。おれの分のメットもある。
 みんなの手前、ビリヤードに行くことになってる。
 バイクが走り出してすぐ、つかまってる腕の力を強めて、バンデイの耳もとでどなっ
た。

「バンデイ!ビリヤードはやめだ!すぐそこに行こう!」

 バイクは夜の街を駆ける。ハシャイでるのだが、どこかにかすかな罪悪感がある。
 もう一度どなった。

「やっぱり、よくないことだよこれは・・・でもオモシロい!」

 自然にそう口を突いてでた。言い訳は・・・
「啄木だって十二階下に行った・・・。」
 途中でバンデイが停めた。
 金をあずける。 
 応対は全部まかせろと云われた。
 一枚を渡して「これがあんたのため」もう一枚渡して「これがおれの・・・」
 バンデイは一万円札をしげしげと見て、「はじめて見た。」と云った。
 裏道の一軒に乗り入れた。
 フツーのちゃんとした家。白壁のテラスのうす闇に3人の女性、4、5人の男達が
前庭にたまってる。いすに座った女達の方を眺めやった後、バンデイは再スタート。
「ワカクナイ」と云った。
 裏道のもう一軒に乗り入れた。庭をかこんで何棟かの建物。
 木々にかこまれた庭のベンチヘ。女の子が一人きた。ベンチのまわりだけは明るい。
 すごくキレイな娘だった。
 「髪ガキレイネエ」とバンデイが日本語で云った。
 もう一人はまだ来ない。
 「この娘気にいった?待ってれば選べる。」とバンデイ。
 二人が並ぶのを待って、選ぶ、ということに抵抗があった。
 彼女と行くことにした。

 部屋もベッドも広かったしエアコンもよく効いてた。
 すこししてベンチで一緒だった、ここの男がやって来て、コンドームを渡そうとし
た。持ってると云ってことわると、部屋代を要求された。金はない、バンデイに云っ
てくれと云うと男は出て行った。
 部屋の錠をかけた。

 ながい髪。
 切れ長でクッキリした目。
 やせてなくてスリム。 
 22才まで。10代なのかも。
 サッカーの審判のような柄のタンクトップを着て黒いフレアードパンツ。
 ベッドによこたわる彼女に抱きつきにいった。

 それからのことが、すばらしい体験であったかというと、そうでもなかった。
 大半の時間、彼女はスヤスヤと眠っていたから。
 ときおりはイビキも。
 そのために継続不能、自助努力、継続不能、自助努力、いちおうの結末。
 感興をそそられたのは、サッカー審判柄はボディスーツだったこと。
 それを脱いだ彼女の印象が、『スリムな』から『肉感的な』に変わったこと。
 彼女の肌の滑らかさとあたたかさ。
 つけてる香水のいいにおい。

 シャワーを了えて服を着た彼女はベッドにもどり、ネコみたいにおれに近づい
て、甘えた声をだしてこう云った。
「チップ・・・ちょうだい」
「なんで!」
 おれはイビキのマネをしてあげた。
 彼女はイタズラを見つかった子供みたいにはにかんだが、あきらめなかった
「ワタシのボス、たくさんお金とる。明日、家にかえる。だから・・・」
 あさっては投票日だからみんな里帰りする、土産がいるんだろう
「そやけど君は、イビキかいて寝ころがってるあいだに普通に仕事してる人の何
 十日分も稼いだんや。知ってんねんで、普通の人の給料。」
 も一度イビキのマネしてあげた。
 も一度、はにかんだけど、
「ネェェ・・チップ・・ちょうだい。」

 結局、Rp.50,000(¥2500)をあげた。
 バンディが部屋のドアをノックした。
 バイクに乗ってホテルヘ帰った。入り口で降ろしてもらって別れを告げた。

「ケイ、ありがとう。オレの分まで出してもらって。」
「いや、いいんだ。」
「どうだった、よかったか?」
「ああ、すばらしかったよ。」
「そうか。」
「ありがとう。明日はウブッヘ行く。
 だから・・so long。」

 部屋へもどる道をたどりながら、空しさにとらわれた・・・
 かと云うと、そうではない。

 オモシロい経験をした。あしたは何があるんかなあ。

 これがその時の偽らざるおれの気持ちだった。

第四日 5月28日 バトゥブラン・ウブド・ボナ

 




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